今週のお題「平成を振り返る」

一言で表すなら・・・平成は自分にとっては【修行!】でした。

世の中には私の想像も及ばない辛いこともあると思いますが、自分的には、よく乗り越えてこれたなという想いと共に・・

もう絶対に戻りたくない日々なのでした。

 

それでも、それらが、私を(多分・・)成長させたと思います。

せっかくのお題の機会、ちょっと振り返ってみます。

 

平成を振り返ると、大人ゆえの悩みや落ち込むことも増えましたけど、今もビビりで動揺しやすいダメな自分でも、少しは強くなったはずと信じています。

ビビっても、動揺しても、その時にとるべき行動ができるようになったからです。

 

周りの友達より早く両親を亡くし、それにまつわる行事や義務を粛々とこなし、知らない大人とたくさん関わり、たくさん学びました。家族の中心であった母親がいなくなって、子供の頃は仲良しだった父親とは思春期以降ほとんど口も聞かなかったのに、密に関わらなくてはならない事態になり、父親の姿を見て、自分を振り返る、今後の生き方などなど考える機会がたくさんありました。

父はこれから第2の人生!と言う時に 脳の障害で最後の1年は要介護5になりました。私のことが認識できませんでした。

最初どうしたらいいかわからず、区役所へ駆け込みで助けを求めました。こんな事ができる自分だと思いませんでしたが、区役所の方はしっかりと話を聞いて、「今私が行ってあげたい。でも地域が担当外なので、担当の人をすぐ送りますから頑張ってね」と言ってくださり、助けて!と声を上げてよかったんだと本当に思ったのです。

その方は、近所の病院に 動けない父を すぐ入院させてもらえるよう手配をとってくださり、私は必要な時だけ少し会社に休暇をもらいながらも 仕事を続ける事ができました。その時に、周りの大人に、会社は辞めちゃいけない、あなたの人生はあなたのものだよ、やることはやっているのだから自分を大切に と言ってくれた人がいたのです。

会社帰りに毎晩見舞いに行きました。土日も毎週顔を見せに行きましたが、私のことはわかりませんでした。

こんなに悲しいことがあるのかなと思いました。お母さんいたらな・・となんども思いました。でも 誰かが いちばん大事な人を、いちばん近い人を、最初に忘れていくのだよと教えてくれたのです。その言葉を信じて耐えました。

 

こう言う勉強は、親がさせてくれたのだと 信じています。

なんでこんな目に・・と絶望することがたくさんあるなかで、それでも、助けてくれる人が現れる、必ず抜道や、先に小さな光が見える日がくる、と知り、どんなに辛くても、あきらめちゃダメだなと思ったのです。

自分を保つ大切さもこの時に学びました。

 

全てが終わって、実家を整理しながら、自分たちがいかに愛されてきたかを知ることもできました。修行のような日々になったのは平成10年ぐらいからのことですけれど、それまでは本当に平和に、大した苦労もせずに生きてこられて、今では親に感謝しかありません。

 

そんな中、自分も20代で循環器の病気が見つかり、入院を何度もし、今も通院を続けています。仕事も、今の会社に就職し、途中職種の変更があり転勤もしました。

親が幼稚園から習わせてくれた 英語を使う仕事をしています。

もともとエスカレータ式の学校で短大まで出ていた私は、社内の転職でも大卒資格が必要だったこともあり、自分の可能性を広げておくべく、通信で大学へ編入し通学と同じ卒業資格をとりました。これは母親の看病をしていた時に、意外に人生短いこともあるんだなと感じて、 やっておかなくては!と気づいたからでした。

通勤のバスの中でも見舞いの隙間にも、全部ずっと勉強していました。そうすることで、辛いことから気をそらす時間が取れていたのかもしれません。

 

このように、一番いろいろな変化がある年代を 平成で過ごしたと思うのに、こうして書いてみると、自分から行動を起こしたことは、わずか、

やってないことはたくさんあるし、いつも時間がないと思ってばかりいました。

そして 元来人付き合いが苦手で、なるべく一人でいたい私に彼氏がいるのは、不安定で、誰かに頼りたい時。好きなのかどうかわからないけど、頼りたい時ばかり。

これも同じことだと思いました。

友達に、好きだら好きでいいじゃない、理由はなくていい と言われたことがあるのですけど、いや、好きかどうかわからないのだよ・・と思いました。

これが私の欠点の一つ。人をなかなか好きにならない。

 

そう言うことも含めて、平成が終わったら、自分主導で変化できたらいいなと 今、書きながら気づきました。

 

振り返ることって大切ですね。